名古屋の発展に貢献した庄内用水について詳しく丁寧に解説するサイト『名古屋の庄内用水』

●●●船の通る水路●●●

【水分橋】

北区と守山区を結ぶように水分橋がかかっています。
橋の北では八田川が庄内川に流れ込み、南では堤防にスクリーンが設けられています。
ダムのようなものは頭首工(とうしゅこう)といい、庄内川を塞き留めて水位を上げるため
に作られ、塞き上げられた水はスクリーンから堤防をくぐり南へと流れていきます。
この流れが堀川であり庄内用水であり、水分橋は堀川や庄内用水の源流なのです。
庄内川から堀川などに水を分ける、そこに架かる橋だから水分橋と名付けられました。

【樋門】

水分橋のたもとにある庄内川の左岸堤防、今では車の通り道となっていますが、その下には
明治43年築造の樋門がかつての姿のまま保存されています。
この庄内用水元杁樋門の大部分は堤防の下にあり、わずかに樋門の口とゲートを昇降させる
設備を外から見ることができます。
川から取水するには堤防に穴を開ける必要があり、この取水口を元杁樋門といいます。
洪水の時でも壊れないよう頑丈に造る必要があり、土木工事という言葉のとおりこれら施設
もかつては木と土で造られていましたが、今残されているのは明治43年に完成した石造り
のものであります。
100年の歳月を経ても変わらない樋門は当時の優れた技術を今に伝え、歴史のある堀川
庄内用水の源流にふさわしい風格のある樋門です。

【貴重な技術遺産】

この庄内用水元杁樋門は、ほかの樋門には無い珍しい特徴があります。
水が流れるトンネル部分は四角い石を積んだ切石積みで造られており、上部がアーチ状と
なっていて最高部の高さは3.2m、流す水の量に比べるとかなり高くなっています。
そしてトンネルの壁には所々、鉄の輪が付いています。
これらは舟を通すための特別な設計で、水の上を通る舟と船頭の高さを考えて通常よりも
トンネルの天井が高く造られ、鉄の輪には通船鎖と呼ばれた鎖が取り付けられていました。
トンネルの中では竿で舟を操れないので、この鎖を引っ張って舟を進めて行ったといいます。